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712本目 ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか/エリック・ブライシュ

2014年 03月 30日
この本は、ヨーロッパとアメリカについて、
それぞれの国でレイシズムにどう対応してきたかを俯瞰している。

レイシズムへの規制は比較的最近になって興隆してきたもので、
その様相も欧州と米国では異なる部分も目立つ。
例えば、アメリカはヨーロッパとは違い、
レイシズムの団体が、ナチズムであっても存在できているように思想の自由はあるものの、
人種差別についての規制はヨーロッパより先んじていたことが指摘されている。

ともあれ、欧米ともにレイシズムに立ち向かうために、
思想の自由に対する規制は日本より強くなされているという印象を受ける。
そういった日本ではあまりなじみのない諸々の事象はとても興味深い。



レイシズム(racism)は単に訳されると人種差別主義ということなのだが、
この本ではその人種の意味がやや広い。

第1章やその注釈8、訳者の解説などを見ると、
皮膚の色、出身国、宗教的所属、属する民族による特徴、
そういったものを含んだ、親から引き継がれるような特性全般を指すものとしている。
つまりは、そういった、
個人では変更が困難な特性全般について中傷することをレイシズムとしているのである。

ヘイトスピーチはそれが言説になったもの。
ヘイト(hate)は憎悪という意味だが、これも単に憎いとか嫌いという発言や罵声を指すのではない。
先ほどの広い意味での人種、それをなす集団への罵倒や中傷、または扇動を言う。

なお、
人種差別とヘイトクライム(人種差別的な理由から起きた犯罪)についてもこの本では取り上げている。



日本もそうだが、民主主義の国において、自由はとても大切なものである。
しかし、あらゆる自由を保護しようとすれば、
ヘイトスピーチであっても表現の自由における範疇であり、
レイシズムというものも自由の名の下に保護の対象になってしまう。

そうとはいえ、言葉による理不尽な攻撃は正義に反するともいえるし、
扇情的なスピーチによって、
その国全体がとても理性的ではない方向に動くのも好ましいことではない。
そもそも、人種差別を正当化する思想は社会に害をなすものとも考えられる。

だが、そういった正義だとか好ましいという基準はとても曖昧なものである。
また、そういった理由でヘイトスピーチなどを規制するのは、
恣意的に自由を規制するという事でもあり、本来、守られるべき言説をも規制の対象にしかねない。
これは、自由と秩序のトレードオフである。



そのトレードオフについて、いかにそのバランスを取るか。
ヨーロッパの国々もアメリカも、思想の取り締まりまではやっていない。
しかし、レイシズムに対する取り組みはかなり異なる。

アメリカではヘイトスピーチについての規制は無いが、
犯罪の動機に人種差別があれば量刑が重くなったり、
公共施設での差別禁止、雇用をする上での差別禁止といったことがある。

ヨーロッパの国々ではヘイトスピーチに対しては規制をしている。
そして、国によって人種差別についての取り組みには差がある。
ただし、ナチズムに関してはその存在を否定するような規制をしている。

しかし、そうしたところでレイシズムは無くなっていない。
だが、規制をかけることにより、レイシストたちの行動を抑えることはできているようである。
ある程度の自由を犠牲にすることで、
全くの自由という状態よりも、社会全体ではそれよりは善い状況を保っているといえる。

また、いったん自由を犠牲にすれば、
国家権力は国民をどこまでも規制しようするという危惧は、
どこの議論でも出てくるものの実際そうなってはいない。
むしろ、緩やかに規制は進んでいるともこの本では指摘している。



そうしてこの本を読みつつ、
翻って日本の状況を考えてみると、レイシストに対する規制は欧米のようには無い。
しかし、ヘイトスピーチをする集団はいるし、
このインターネット上での様々な個人の発言を眺めていると、
このまま放置しておけるものかどうか迷うところはある。

対象を特定できるような具体的な個人や団体に対する嫌がらせなどは、
現在ある刑罰や規制で対処できるとは思うものの、
広い意味での人種というものを攻撃するヘイトスピーチはどうすべきか。
規制すれば表現や思想の自由を制限することになるし、
レイシズムに基づく言動を放置することが社会的に望ましいとも思えない。

この本の著者は24ページでレイシズムへの規制について意見を表明している。
それは、単に不快というレベルのものならば、よほどひどい言説でも罰してはならない。
しかし、暴力を扇動したり、過度の憎悪を引き起こすものはレイシズムの禁止が正当化される。
その条件として、個人や集団に対するものは、測定可能で具体的で非常に強いもの。
社会全体に対する影響のあるものは、
暴力を生み出したり、集団間の亀裂を深めたりするものでなくてはならないとある。

この意見にはおおむね賛同である。
だが、この条件を実現するのは非常に手間のかかることである。
それは、散々この本で言及されているが、どこから違法かという線引きは非常に厄介であるからだ。

このレイシズムに対する万能的に機能する規則はおそらく無い。
裁判所が正義を判断するよりも、
国民の意見の集合である議会による議論がより馴染むと考えられることもあるともある。

欧州や米国の事例では、レイシズムへ対応している姿は、
歴史の文脈が影響するので対応の違いがそれぞれに表れていると、
この本ではそのような推測がなされている。
そんな具合に日本でも、
一つの正解のない正解を目指すには、社会を構成する一人一人が議論をするしかないのだろう。


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by excdaite | 2014-03-30 00:25 |