毎年、年度末のちょっと前に調査が実施され、
その半年後のこんな時期に発表される
文化庁の国語に関する世論調査。
最初の質問が、今の国語は乱れていると思うかというもので、
7割くらいの人が乱れていると回答したとの結果。
でも、年を追うごとにその割合が減少している。
その次の質問の、家庭で言葉遣いについて注意されたかという項目。
ここでも「注意された」の割合が減少傾向。
言葉の乱れは計測できるものではないし、
おそらく、言葉についてゆるやかに考えるようになってきているのかなと思うところ。
その次には、自分が家庭で受けた言葉のしつけについて、
適切にしつけられたかどうかという質問。
これも、適切にしつけられたと思うとの答えが増加傾向。
全体的に、言葉遣いの水準が上がっているとも考えられるし、
やはり、社会全体的に言葉遣いのことをあまり気にしなくなってきているとも思える。
この傾向が続くと言葉はどう変化していくのか、なかなか興味深く、また、気になる。
・日本に住む外国人に対して、
日常生活程度の会話と読み書きの能力を求める人が半分以上いる
会話と読み書き能力、会話のほうが若干重視されている様子が見て取れる。
それにしても「仕事や学校生活が円滑に行える程度」求める人も1割くらいいるのだな。
・手書き文字を重視する人はかなり多い
年賀状などで、
手書きまたは、手書きで書き加えられているものがいいという割合が87.6%
文字を手書きする習慣をこれからの時代も大切にすべきという人が91.5%
そんなに多いのかと、ちょっと驚く。だが、
例えばこうして手書きでない文字を綴ることが日常になってしまっているものの、
思えば、自分の手を動かすだけで文字を綴れるのだから、重視されて当然か。
・漢字の書き記しかたについて
たとえば、「令」の下の部分をカタカナの「マ」のように書いてもいいかな問題。
どっちでもいいじゃないかとは思うものの、
国語の試験問題、学校の入試に会社の入社試験では大問題。
この質問で示されている文字は、
常用漢字表では書き方についてどちらでもいいとしてあるものの一例。
この意見の割れ方は、なかなかの見ものである。
でも、「木」の2画目をはねてもいいという人はさすがにやや少ないか。
・印刷と手書きとでの漢字の形の違いについて
たとえば「心」はフォントだと正方形にはまりそうな形だが、
手書きだと横に伸びていて、長方形にはまりそうな形になる。
印刷文字と手書きの文字の差を知らない人は、
文字によって差はあるが2から5割くらいもいる。
表示するための漢字と、書き記すための漢字には差があるということは、
もっと一般的になってもいいのではないのかなと思うところ。
・最近、耳にすることのある言い回しについて
「わたしは→わたし的には」「話をしていた→話とかしていた」「……かな、みたいな~」
「(良い意味での、賛美するときの)やばい」「(良し悪しの判断をしかねるときの)微妙」「うざい」
全体の割合を見るより、年代別の割合を見たほうが傾向がはっきりしていて分かりやすい。
どれも若い世代ほど使用率が高いのだが、
最初の3つは16~19歳の年代でも半数に満たない。
しかし、後ろの3つは若者言葉であるとはっきりと分かる。
特に「やばい」はその傾向が明瞭で16~19歳の年代で9割が使うが、そのあとの年代では急降下。
若者言葉といっても、微妙はいよいよ市民権を得てしまいそうである。
(70歳以上の年代でも42.4%)
・慣用句などの使い方
国語の問題だとか、クイズだとかに出題されそうな言い回しの質問が最後に掲載。
「おもむろに」は、40代までの6割くらいは「不意に」の意味でとらえている。
「おもむろに傘を差す」と言っても、浮かぶ景色がずいぶんと違うことになるのだろうなと想像する。
周囲を気遣いながら傘を開く姿と、ジャンプ傘を勢いよく開いてしまう姿。
「枯れ木も山のにぎわい」はどの年代でも4~5割が賑やかになるという意味でとらえている。
本来の意味だと、状況によっては失礼なことになる可能性がある。
普段は人のほどんどいない田舎でも、お盆になれば帰省した人たちで賑やかに。
その状況を「枯れ木も~」と評した場合、
つまらない人たちがいっぱい集まって、人がいないよりはいたほうがいいね、などと皮肉になりかねない。
または、落語か漫才かコントか。
・「青田刈り」
とっとと刈ってしまっていいものなのか。
・「眉をしかめる」
「眉をひそめる」が本来の言い方ではあるものの、
「ひそめる」「しかめる」は漢字だとどちらも「顰」である。
しかめっ面、顰蹙(ひんしゅく)などと使われる。
「ひそめる」は眉にしか使わないが、どっちにしてもしわを寄せることは同じ。
どの年代でも、しかめるとひそめるが拮抗しているのは、そのせいだろうか。
・「熱にうなされる」
熱に、ではなく、熱で、ならいいんじゃないかと思うところだが、
魘されるというのは、夢を見ておびえるという意味なので結局、比喩的になってしまうのかな。
・「いやがおうにも」
いよいよ、ますますの言い換えについて。
いやおう無しに強制参加、の「いやおう」と混ざってしまったのだろうか。
とはいえ、
「弥が上にも」という言葉の響きには、嫌という意味を連想させることはあるのかもしれない。
「いやおう」の「いや」は「否」ではあるけれども。